OASIS最後のスタジオアルバム『Dig Out Your Soul』に突き付けられた試練

今回はOASIS体験記の第3弾です。

2009年の来日公演の事をメインに書こうと思っていたのですが、思いのほか2008年リリースのアルバム『Dig Out Your Soul』についての話が長引いてしまいました。

というか、それについてしか書いてません。

それでは、どうぞ!

待望のニューアルバム!?

2008年10月1日、英国より5日先駆けて、OASIS通算7作目のスタジオアルバム『Dig Out Your Soul』がここ日本でリリースされた。

僕はあろうかとか、すっかりその事を忘れていて、たまたま立ち寄ったTSUTAYAで偶然見つけ、そのままカウンターに向かった。

何だか奇妙なアートワークに一瞬戸惑ったが、紛れもなくOASISのニューアルバムだ。

今となっては、新たなCDを購入しプレーヤーに差し込むという事も随分少なくなったが、当時はこういう事を飽きもせず毎週、毎月と繰り返していた。

再生ボタンを押して、曲が耳に飛び込んで来る瞬間というのは特別なものがある。

同時に、いいものであってくれよという願いや賭けといった気持ちが最も高ぶる時だ。

やや枯気味のギターリフから始まる「Bag It Up」は、僕に充分な衝撃を与えたとは言い難かった。

「The Turning」、「Waiting For The Rapture」と続いていく展開は決して悪くはない。

気持ちは少しの引っかかりを感じながらも、4曲目の「The Shock Of The Lightning」に突入する。

このアルバムからの1stシングルに選ばれただけあって、シンプルで分かりやすいギターロックだ。

素直に好きと言い切れる歯切れの良さがこの曲にはあった。

しかし、こういったテイストを感じさせる曲はこの後の展開で出てくる事はなかった。

そして最後の「Soldier On」を聴き終えた。でも僕は決して失望してた訳ではない。

では、何が僕を消化不良にしていたんだろうか?

幻影

結局の所、これまでのOASISとの「違い」という点だろう。

90年代を謳歌したアルバム初期3枚の幻影は永遠にまとわり付く。

ただそれは今に始まった事ではなく、『Standing on the Shoulder of Giants』の時点から起きている事だ。

00年代、ノエルは意図的にOASISを違う方向へと向けだした。

それは『Heathen Chemistry』『Don’t Believe The Truth』でも明らだが、その変化はまだ無理のない範囲だった。

これは誰でもそうだが、月日の流れは音楽的嗜好の変化をもたらす。

『Dig Out Your Soul』ではとうとうその変化が大きく表れた。

これはノエル、OASISの新たな実験でもあり挑戦、そして90年代OASISを神格化するファンへの次なる決意表明にも感じた。

大合唱できるスタジアムロックとの決別。

そして、早速僕はそれに乗り遅れたんだと思う。

過去の大きすぎる幻影を振り切れず、2008年のOASISに対し両手を広げ向かい入れる事ができなかった。

僕が感じた違和感、消化不良はこういことなんだろう。

作品の出来がどうこうとう言うより、膨らみすぎた理想とのギャップだ。

OASISに限らず、売れ続けるバンドには起こり得ることだろう。

新たなファン

このような事を書いたが、このアルバムがハナからズッコケたとのかといえば全然そんな事はない。

英国では当然のように1位をかっさらい、米国においても5位を記録し、『Be Here Now』以来11年ぶりのトップ10入りを果たした。

ここ日本でもオリコンチャート初登場2位を記録している。

この数字が示すように各メディアの反応も悪くはなかった。

逆にこれまでOASISに興味がなかった人や、バンドはすでに終わったと感じてた人達が高評価を押すことも多かった。

今作でノエルは『聴く』音楽から『体感』できる音楽へのシフトチェンジを狙っている。

OASISでは大衆の心を鷲掴みにするメロディーがこれまで曲を引っ張ってきたが、『Dig Out Your Soul』ではサイケデリックなグルーヴが幅を効かす。

この変化が新たなファンを作り出したのも、また一つの事実である。

あとがき

『Dig Out Your Soul』はこれまでと違うOASISの側面が存分に強調されたアルバムでした。

音楽に対して固定概念を振り払い、『ニュートラルな耳をもって何でも聴いてみよう』という僕のスタンスは、この時に関してはあまり機能しなかった事を覚えています。

何でも情熱をもって好きになるのは構わないんですが、その思いとやらがいつの間にか自分の世界観を狭めていく事があります。

まさに当時の僕はそれにガッツリはまっていたと言えるでしょう。

ただ好きな音楽、バンドだからこそ、長い時間を掛けてその作品と付き合っていくというのはあります。

僕をはじめ多くの人は初期衝動を求めがちですが、それだけが全てではありません。

いろんな角度からその作品と向き合って分かる良さ、というのもまた少なくありません。

Doorsをバックにジャック・ホワイトがギターを弾いてるかのような「Wating for the Rapture」。

グルーヴィーなベースがサイケデリックな60年代まで引っ張っていきそうな「To Be Where There’s Life」

今となっては僕のフェイバリットです。

そんな新境地へと突入したOASISはすでに8月からワールドツアーを開始していました。

そして、翌2009年3月には3年半振りとなる来日公演が実現します。

次回はそんな思い出を書いてみようと思います。

それではまた✋