さて、今回は「Live Forever」をいってみようと思います。
僕が初めて出会ったOASIS(オアシス)の曲がこの「Live Forever」(リヴ・フォーエバー)です。
2001年当時、スペースシャワーTVで洋楽のMVを何本かまとめて流す番組があったのですが、その番組でガンズやオフスプリングとセットになって放送され、それをたまたま録画したことが始まりです。
当時、主にハードロックが好きだった僕はどちらかといえばUKロックが苦手で、オアシスもその例に漏れずMVを観たところで心が動かされることはありませんでした。
しかし、不思議なことにそのMVを何度も繰り返し観てると、段々このバンドのことが気になってきたのです。
ドラマーを土の中に埋めるというMVを何故繰り返し観てたのかは覚えてませんが、結果としてそれが今日の僕に繋がり、今こうして文章を書いてます。
バンドは消滅しましたが、この曲はオアシスファンにとっても、僕にとっても人生の一部として永遠に鳴り続ける曲だと思います。
グランジとブリットポップ
90年代初頭のグランジブームを牽引したニルヴァーナ、その中心人物であるカート・コバーンが94年4月5日に自ら命を絶った。
およそ2週間後の4月25日、英国ではブラー3作目のアルバム『Parklife』がリリース。
グラランジがカートの死という大きすぎる傷を負った直後のリリースとなったこの作品は、新たなブリットポップというムーブメントを巨大化させていく中心となった。
そして、『Parklife』がリリースされる少し前の4月11日、クリエイションレコードの秘密兵器オアシスがシングル「Supersonic」でデビューしている。
94年の4月、グランジとブリットポップはそれぞれ対照的なターニングポイントに立つことになった。
その後オアシスは6月13日に2ndシングル「Shakermaker」、8月8日に3rdシングル「Live Forever」を着々とリリースし、8月30日には待望の1stアルバム『Definitely Maybe』が登場した。
この『Definitely Maybe』とブラーの『Parklife』がブリットポップを大きく牽引していく。
そこに多くのバンドが続き、一気にブリットポップは巨大化していった。
ブリットポップの一連の流れを描いたドキュメント作品『Live Foever』、OASISの『Definitely Maybe』の制作ウラ話が多く聞ける同タイトルのDVD。
これらの作品で、当時一体何が起こっていたのか?とういうのを当事者達が語っているのでオススメしたい。
Live Foreverを作った理由
『Definitely Maybe』には聴き手を退屈させない楽曲が多く詰まっているが、その中でも、リアムが”究極のフィールグッドソング”とし、ノエルが”普遍的で世界のファンに向けて最もカギとなった曲”と称えるのが「Live Forever」だ。
そして、この曲はカート・コバーンと無関係という訳ではない。
ノエルは以下のように語っている。
当時のニルヴァーナなどのグランジは、自己嫌悪と死にたいというものばかりだった。
俺はそう思わないし、カート・コバーンみたいなのには腹が立った。
だから永遠に生きたいというような曲を作った。
出典:ウィキペディア
あの死ぬほど才能持ってるクソ野郎が、俺がほしかったもんを全部持ってやがったんだよ。金持ちで有名で、あの頃トップに立ってたロック・バンドで音楽やってて。
しかも自分のことが嫌いだとか、死にたいとかいう曲を書いてんだぜ! 俺としては、俺は自分のことをファッキン愛してるし、永遠に生きてやる(Live forever)さって思ってたね。
出典:ロッキング・オン
上記だけみてればカートを毛嫌いしてたかのように見えるが、そうでもない。
ノエルはカートに対し、音楽的な才能はもちろんの事、同い年、同じ左利き、ビートルズやセックス・ピストルズという音楽的嗜好、多くの面で親しみを感じていたようだ。
当然カートに出会う事はなかったが、もし出会えてたなら一緒に何かを作ってみたかったそうだ。
生きてれば何とかなる
ギャラガー兄弟は基本的に生きる事への欲望や執念のようなものが強い。
彼等の生い立ちも関係してるのだろうが、生きる事を目一杯楽しんでやるといった気迫が節々に感じられる。
それが彼等のあの独特のキャラを作ってる要因の一つなんだろう。
そして「Live Forever」の、ただ息をしてずっと生きていたいんだというメッセージ。
これは僕にとって唯一リアリティのある歌詞かもしれない。
希望をもつ事を強要される訳でもなく、とにかく永遠にでも生きるぞという単調な繰り返し。
正直僕は死ぬ事への恐怖がある。
何故怖いのか?
それはおそらく選択肢が無くなってしまうからだ。
どんなに心がキツイ状況でも、選択肢があれば何かを得れる可能性が残る。
あの手この手を試す事ができる。
今はダメでも、明日か来年か10年後かは分からないがその間に逆転できる可能性がある。
本来目指してたものとは違っても、新たに見つかる幸せだってあるかもしれない。
しかし、当然だが死んでしまったらそういった選択肢は一切無くなる。
何かを考える事も、喋ることも、逃げることすら出来ないのだ。
僕はきっと、死んでいく時の痛みや苦しみ以上にその選択肢の消滅が怖いのだろう。
生きたい理由なんてそれだけの事だと思う。
選択肢さえ置いといてくれれば、あとは自分の持ってるもので何とか生き抜いてやるって思ってる。
たとえ自分の持ってるものが小さなことでも、色々な角度で何度も試すことが出来れば、何かを打破できるかもしれない。
何かに目を輝かせて生きるというよりも、死なずに生きて悪あがきでもなんでもやってれば、誰にだってチャンスはある。
だから、ひたすら生きるというメッセージを繰り返した「Live Forever」には強く共感出来たんだと思う。
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また、いつか
あくまでこれは僕の考えであって、人それぞれ「Live Forever」の捉え方は違うだろう。
ただ、様々な捉え方はあれどこの曲が多くの人の心に響いたのは間違いない事実で、オアシスにとってのエバーグリーンとなった。
OASIS解散後しばらく演奏されていなかったが、リアムはBeady Eyeの後期から取り入れるようになった。
2018年のブリット・アワードやマンチェスターテロ自爆テロ事件の追悼ライブ”One Love Manchester”など、貴重なイベントの際に披露される事が多い。
”One Love Manchester”ではクリス・マーティンに誘われてColdplayと共に演奏している。
リアムは日頃からColdplayの悪口をよく言っていたが、この共演を機に仲を深めている。
散々言われたのにも関わらず、リアムに誘いのメールを出したクリスは本当に紳士だ。
一方ノエルはソロになってからもオアシスの主要曲を数多く演奏しているが、この曲は正式にはやっていない。
何年か前にライブでオーディエンスに歌わせたことがあったのみだ。
大切な曲なのは間違いないので、おそらくタイミングを慎重に考えてるのではないだろうか?
いずれにせよ僕をオアシスに導いてくれた「Live Forever」をいつか演奏してもらい、またライブで体感したい。
その度に僕は、自分の中で大切にしてるものを噛みしめるように再確認できるのではないだろうか。
あとがき
カート・コバーンの死、「Live Forever」はそれに対してのアンサーとも捉えれるだろう。
たまーーに生きるとか死ぬとかってのを考える時に、この曲が頭をよぎります。
どうも、僕にはノエルやオアシスの生き方に対する考えってのが合ってるみたいです。
だからこそ、長い間興味を持っていられるのでしょう。
おしまい✋